今朝の冥想会では、京都の小学生の、行方不明の、あの事件について、研鑽させていただきました。
犯人は◯◯人だったとか、一国に於ける、年間の行方不明者の数は背後で操作されているとか、どの行方不明案件を、オモテに出すかの判断も当然操作されているとか
日中戦争に誘導するための布石なのか?
どうか?など、興味深い考察や憶測が交わされました。参加者の皆さんの見識の高さに圧倒されて、いつもいつも感謝しかありません。
真偽の程はさておき、これほど大量の自説の考察、公表が、電脳空間、ネット空間にて、瞬時にやりとりされていることには、可能性を感じました。
もちろん、一市民として凄惨な事件の印象によるショックが、身体に与える影響は、どこに現れるのか?どう調整するのか?
などを考え続けて答えを出し、今後の、
2次被害、三次被害に繋がらないようにと、祈るばかりです。
だからこそ、あまりにも道徳的に、綺麗にまとめずに、敢えて、もっとひずんでゆがんでゆく必要があるのかなと感じました。
大きくひずみ、ゆがみながら、でも、
絶妙にバランスが取れて、しなやかに、
たくましく生きてゆけるのなら、
良いですものね。
現実社会のひずみ、ゆがみが、あまりにも目も当てられない、直視しにくい、そんな様相に、なっていますから。
一昨日は、春日大社、若草山、東大寺、
そして興福寺のエネルギー散策に出かけて財運、健康運、人間関係に関する、運気の調整について、多くの収穫がありました。
この話も、どこかでしたいなー、と、
おもいます。とりわけ春日大社のある場所は、それはそれは、素晴らしいエネルギーでしたので。